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雨に濡れない「極意」とは?

2022.02.20

今日は、沢庵禅師と柳生宗矩のお話です。

江戸時代、徳川将軍家の剣術師範をつとめた
「柳生宗矩(やぎゅう・むねのり)」は、
禅僧・沢庵(たくあん)との出会いによって、剣に開眼したと云います。

ある雨の日、禅問答を仕掛ける沢庵禅師。
「お主、この雨のなか外に出て、濡れない極意を見せてみよ」

柳生宗矩は降りしきる雨のなか、剣で雨をメッタ斬りにして見せます。
「どうだ」とばかりにドヤ顔の宗矩に、
沢庵は「そんなに濡れていて、何が極意じゃ」と。

「それなら和尚の極意を見せてくれ」と食ってかかる宗矩。

その言葉を受けて、おもむろに雨のなか外に出た沢庵禅師。
何をするでもなく、ただ、じっと雨のなかに立っているばかり。

濡れネズミのようになって戻ってきた沢庵禅師に、宗矩はすかさず突っ込む。「なんだ、和尚だって濡れているじゃないか」。

そこで、禅師はこう言うのです。

「まったく違う。お主は濡れまいとして、刀を振り回して雨に立ち向かった。
だが、雨はそんなことはお構いなしにお主を濡らしたわけじゃ。
わしは雨を受け入れて、ただ立っていた。

わしが雨に濡らされたと思うか? 
わしは雨とひとつになっただけじゃ」

この一言に宗矩は開眼し、剣を極めることとなったのだとか…。

同じ雨のなかにいて、「心を掻き乱して戦った」宗矩と
「心穏やかに佇んでいた」沢庵。

「濡れない極意」とは、あるがままを受け入れ、それとひとつになることだったようです。

雨とひとつとなるとは、雨が降るのは自然の摂理、また水は上から下に落ちるニュートンの法則で変わる事のない事、宇宙の法則、不偏です。
どうしようのないことなのです。

だったら受け入れてしまえば、心も乱れず、穏やかに心になれ、
和合できてゆく、ひとつになれる。
あるがままを受け入れひとつになる。

人生においてのひとつのヒントにして下さい。



本格占い:総合鑑定クレッシェンド
修 弦


雨に濡れない「極意」とは?

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